1/13 ラリーカー到着予定日

 やっとダカールに着いたという安心感で、ぐっすり眠れた。

 後は、貨物で送ったラリーカーをおろして、メルディアンホテルまで持っていくだけだ。

 貨物列車は今日着くはずなのでゆっくり朝食をとってから駅に出かける。

 素直に列車から降ろせればなと、一抹の不安を抱えて駅に着くと、どこにも車は見あたらない。本当に車は送られたのか、誰かに盗まれたか? 駅の警察に聞いてみると、列車のことを調べてくれて、結局着くのは明日らしい。

 もうこのころになると「遅れる」「待つ」が当たり前になってきてあきらめがつく。

 おなかもすいたので何か日本食に近いものが食べたくなってきた。ホテルのロビーで聞いてみると日本食はないが、中華はあると教えてもらい直行。結局これから4日間昼はここで食べる羽目になった。

 ホテルでは午後7時からダカールニュースを見る。今日の結果がいち早く見られるが、映るのは上位の車ばかりでドリームチャレンジャーは全く出てこない。日本のテレビじゃないので「今日の日本人選手の結果」なんて言うものもない。みんな無事に戻ってきてくれと祈るだけであった。

1/14 あったぞラリーカー

 次の朝、駅に行くと奥の方にぽつんとラリーカーの乗った貨物が見つかった。ちゃんと着いた、ほっとした一瞬であった。

 しかし、喜ぶのはまだ早い。車は頑丈なワイヤーで止めてあるし、こんな線路の真ん中では下ろすこともできない。

 バマコでダカールに着いたらサンガリーというものが後のことはやってくれると聞いていたが、駅に人に聞いてもわからない。貨物車の上で途方に暮れていると、1人の男がやってきた。それがサンガリーだった。

 会えてうれしい、早く下ろしてくれと頼むと「心配はない、待っていろ」と言い残して行ってしまった。バマコの経験上、数時間かかるだろうと踏み、今日も中華料理を食べに行く。

 また駅で待っていたがとうとう日が暮れてしまった。今日はもう終わりかと思った頃やっと機関車がやってきた。ラリーカーの乗った貨車を移動してくれるらしい。
 やっとの思いでスロープのところまでたどり着いた。後はワイヤーを切って、下ろすだけだが、今日はここまでで明日下ろすという。
 しかも、誰か車に残らないと危ないと言うことで一晩いくらかで見張りを頼む羽目になった。まあこんなものだろうとあきらめてホテルに帰る。

1/15 ワイヤーを切ってくれ !

 今日はおろせると気分良く駅に行くと、何か問題が起こっていた。この貨物は通常輸出用ですべて直接船に積むらしく、ここで下ろすことはできないらしい。
 鉄道管理局の人はその許可がないためにワイヤーが切れないらしい。何でも適当なくせにこんな時だけとても厳しく、ただワイヤーカッターで切るだけのことをしてくれない。

 サンガリーが何とかすると行ってまた出ていったが一回出ると1,2時間帰ってこない。帰ってきても待っていろと言うだけでまた行ってしまう。

 待っている間、のどは渇くしお腹も空くので駅前の市場にコーラや食べ物を買いに行ったりしているうちにダカール駅周辺に詳しくなってしまった。
 また、そんな町を歩いていると露天の呼び込みの嵐にあうが中にはしつこいやつもいる。今日は特に若い二人で店の前からずっと付いてくるやつがいた。しかもそのうち肩を触ったり荷物を引っ張ったりするので殴りかかったらやっと去っていった。
しつこいやつだったと思っていたら、なんとウエストポーチが空いていて財布がすられていた。うまくやられたと感心してしまったが、とっていったのは買い物用の小銭用財布でメインのラリーの費用の入った財布は別の安全なところだった。ただ、買い物用財布に現金は数百円だったがカード類が入っていたため、日本に電話してカードは止めてもらった。これでカードは使えなくなりこれには困った。

 駅に戻り、やっぱり夕方近く、やっとワイヤーが切れた。そして近くにいた子供たちに押してもらって貨車から降ろし、駅横の空き地に駐車する。その手伝ってくれた子供たちもただではすまず、何かくれの連発。お菓子でもかってやろうかと市場で探したがよくわからず、結局リーダーらしいやつにお金を渡してみんなで分けろと言うことでおさまった。

 さあ後は牽引してスタートゴール地点となる「メルディアンホテル」に行こうと言うと、まだ許可がすべて出ていないので駅からは出られないと言う。また明日に延期だ。今日も人を雇って見張ってもらう。

1/16 やっと帰ったメルディアンに

 今日も朝からサンガリーと手続きに回り、結局回った大まかなところは、まずパリからダカールまですべてのラリーカーを運んだ船会社で、これはまさしくパリダカの車だという証明をもらい、それを持ってダカール市長に掛け合い、特別に貨物を下ろしてもいいという許可をもらい、それを貨物の会社や鉄道管理局に持っていき、出せるようになったらしい。

 日本では1日で十分すみそうな内容だがアフリカでは4日かかる。これがアフリカンタイムだ。

アフリカンタイムとは
・約束1時間遅れは当たり前
・ちょっと待ってろは2時間から半日
・昼休み、休憩は十分とる
・同時に複数の仕事はしない(できない)

 しかし逆に言うとゆとりがあってこれで成り立っているし、誰も怒らない。その分コミュニケーションに費やす時間は長くて、心は豊かである。時間に追われる日本人とのあまりにも大きな違いを知った。

 午後になってやっと許可が出た。今度は動かなくなったラリーカーを牽引する車探しだ。サンガリーの車はルノーの1000ccで2t以上あるラリーカーを引っ張るには無理があるのでトラックを探してきた。しかしそのトラックも大した大きさではなく、トラックの方が引っ張られている状態だったが、何とか動かすことはできる。

 駅を出て、結構渋滞している町を抜けてホテルへ向かう。途中牽引している車の間に車が入ってきたり、カーブではトラックの後輪が引きずられたりしながらもホテルに到着。2週間ぶりのメルディアン。

 ホテルの駐車場にはリタイヤして戻ってきた車やカミオンが何台もあった。チームの車はなかったが、ゴールまで後2日この時点で戻ってきていないと言うことは順調にきているか、もしくはリタイヤしていたらもう戻ってこれない状態かどちらかである。

 これで、本当に車と一緒に日本に帰れる。やっと一息ついた。

 最後にサンガリーにお金を払って終わりだ。しかし請求金額は10万セファー(約2万5千円)日本円では大したことないが現地では大金で、しかもあまり持ち金もない。
 お互いよく分からない英語で怒鳴りあいながら交渉を続けたが、僕らは6万セファーしか絶対払わないと言い張った。するとサンガリーはしばらく考えた後、急におだやかな表情になって、
「君たちはこの4日間僕と一緒に過ごしてハッピーだったか」(英語)
と聞いた。僕らは面食らったが
「とてもハッピーだった」
と答えた。するとサンガリーは
「君らがハッピーだったら僕はこの値段でいいよ」
と笑顔で言った。僕らはガーン!と心を打たれ、なにも言えなくなった。

 今日はメルディアンではなくお金のない僕らはまた町中のビジネスホテルに泊まるため車で駅まで送ってもらうが、サンガリーがその途中に自宅があるので妻も子供も喜ぶから寄ってくれないかという。喜んでおじゃますることにした。

 家に着くとそのあたりは住宅地で白い土壁のかわいい家が並ぶ。家に入ると奥さんや二人の娘たちそして愛犬シダーが迎えてくれた。立派なリビングにテレビ、ビデオ、ステレオも並び、ほとんど日本製。日本の一般家庭と変わらない、広さはむしろ負けているくらいだ。
 ラリーやリタイヤ後の体験などを片言の英語で語り合い、1時間ほどで帰ることに。
すると、今度の土曜日食事に来ないかと誘われた。ちょうどゴールの前の日で空いている。おじゃますることになった。

 今日は、サンガリーとその家族、そしてアフリカの人たちの暖かさを実感した一日であった。そして、これで帰れるという安心感でぐっすり眠った。