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 97年のカウントダウンはチーム何人かでの海岸での花火。

 朝からは書類チェック。ここで大問題が起こる!

 ライセンスのチェックで国際C級ライセンス以外に、競技者ライセンスが必要だったのだ。これは必要書類とお金を払えば日本で取得できるのだが必要とは知らず5台中3台が持っていない。

 その日はチェックにパスできず次の日に延長。日本のJAFはまだ正月休みだし、このままでは出場はできない。パリでお世話になったユベールに聞いたりした結果これは1台に1枚、しかも本人名義でなくてもよいとのことでなので、誰かに借りる手配をした。1枚はそのユベールに、そして後2枚はいろいろ掛け合った結果、トヨタフランスの代表とそのメカニックの代表2人のライセンスを貸してもらえることになった。

これで何とかチェック最終日の時間ぎりぎりにパスし、このおかげで主催者T.S.O.やトヨタフランスとかなり仲良くなり、レース中にも助けてもらうことができた。

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 ダカール港からラリーカーの搬出 車両最終調整と荷物の詰め込み。

 しかし、昼頃からお腹の調子がおかしくなる。それもだんだん、ただ事ではないほどの痛みと下痢になってきた。そのうち熱も出てきて立っていられない。
 寺田に準備を頼み、部屋に戻るがトイレを離れられないほどの下痢と嘔吐、じっとしていられないほどの痛みが走る。昨日海岸のレストランで食べたウニとカキを思い出す。体温計はなかったが、自分でさわっても高熱だとわかる程だ。

 夜になっても調子は変わらず、スターと前夜のミーティングにも出られず。
結局、朝までほとんど寝ることもできなかった。