TEAM DREAM CHALLENGER

その先にある感動を目指して、

 1994年、それは進藤浩司とラリーイスト金森立の劇的な出会いによって始まった。2人はアムウェイとパリダカのチャレンジ精神・成功哲学は同じであることに意気投合し参戦を決意した。
 「97年のパリダカにアムウェイのメンバーで結成したチームで参戦する」
 この2人の熱い思いに、全国のディストリビューターから多くの反響と声援が送られ、参加費用は全て自己負担のプライベートチームながら、22人のメンバーが全国から集結し、全てのスタッフが、アムウェイのメンバーからなる、チームドリームチャレンジャーが結成された。
 競技参加車両5台、プレスカー2台というパリダカ史上最大の規模のプライベートチームである。

ドライバー&ナビゲーター

1号車ドライバー

金森 立
こんなに楽しいパリダカは、はじめて、こんなにお金のかかったパリダカもはじめてだー。
クラス優勝できなくてラリードライブ&ナビとしての評価は上がらなかったけど、指導者としての評価がやけに上がっちゃって困っている。そんなことないのに。「こんな僕でも出来るのだから皆も本気でやればパリダカできるよ」「期限付きのゴールだからAmwayと同じだ」これを実証できてよかった。
皆が一生懸命だったこと、皆が喜んでいることがうれしかった。4号車のリタイヤは今でもつらいけど、4号車の警告があったから4台完走出来たと思っている。次回は4号車の2人を完走させたい。
そして20台体制のジャンボチームをつくって私はヘリコプター観戦しようかな?
 応接してくれた皆さんとくにメカの皆さんメルシーボクー!
ドリームチャレンジャーはまだまだ続くゾー
次はこのページを読んでる君も参加しよう!!

1号車ナビゲーター

進藤 浩司

夢・感動・出会い・満点の星空・熱風・バオバブの木・友情・砂嵐・原住民・痛み・オアシス・激突・笑い・涙・困惑・焦り・気づき・埃・ピンク色の湖・工モーション。
子供の頃からの憧れの地アフリカにまさか自分がパリダカという形で足を踏み入れるとは思ってもみなかった。ゴールの感激は一生忘れられない。みんな本当にありがとう。
感謝!
2号車ドライブ&ナビ

岡田 豊
私がアフリカで見た物・経験した事は、自分の人生に大きな影響を与えるものでした。
アフリカの美しさ・大自然の厳しさ・このラリーの楽しさ・過酷さ・人の優しささなど
日本にいても得られないものを得ることが出来ました。アフリカヘに行ってナチュラルになっている自分を発見しました、都会で生活している自分にとってこれは大切なことだなと感じました。このラリーでは、レースだけではなく、毎日変わる景色も楽しみの一つでした。また星空の美しさには感激しました、地平線ぎりぎりまで星で埋まっている空は言葉にならないぐらい素敵でした。約8000キロを走ってダカールの海岸に着いたときは大きな達成感と自信に満ちあふれた自分がいました。私達にスポンサーして下さった方々、応援してくれた方、チームの全メンバー、リーダーの金森さん、すべての方に感謝致します、有り難うございました。
2号車ドライブ&ナビ

土方 和真
このラリーに参加して一番感じたのは、「人間(自分)はとても小さい存在だ」ということ、日本のような文明の進んだ所に住んでいると、土地があればビルを建て、地下資源を止めどなく使うという自然破壊をしなければ自分達は生きてゆけない。大自然の中にいると人間は非常にアブノーマルな生活をしていることに気がつく、自然を侮ると取り返しのつかない事になる、文明だけに頼らず自然とうまく共存する手を考えなくてはいけないと思う。自然の中の自分はとてもちっぽけだったけど自分自身では一回りも二回りも大きくなったと思う。そんな人間のとても基本的な事を教えてもらったと思う、このラリー参加で。
 とってもとってもシンプルなんだろうね、そこにあるのは。
3号車ドライブ&ナビ

今井 貴之
僕はいつかパリタカに出てみたいと心の奥にありました、でもこんな身近に話しが来てしまい、もう自分勝手に「これは出ろ!!」「このチャンスは逃すな!!」と思い込み、出場を決めました。本当に過酷で大変なパリダカでした。自分が極限状態にさらされた時、なんて自分は弱いのだろうと痛感しました。そんな時、パートナーの那須さん、チームの皆、そして日本でバックアップして下さった大勢の方がおられたからこそ、『絶対に負けるもんか!走り抜いてみせる!生きて帰ってやる!』と心の中で思い続けられました。最後に、辞めないで応援してくれた父・母・兄弟本当にありがとう。
3号車ドライブ&ナビ

那須 勲
最初のパリタカミーティングから1年半なんとなく直感で出場を決めてから一年半。ドラマがいっぱいありました。この世に生まれてから1万日以上になりますが、これ程までに人に感動し、自分に感動し、地球に感動した16日間は初めてです。毎日毎日を本当に真剣に生き切ったと思います。最高です。私の人生のテーマは死ぬまでに何回、体の底から感動する出来事に出会うかです。次のチャレンジに向けて日々を楽しんでゆくつもり。
最後にダカールラリー出場に際して関わって頂いた全ての人々と全ての出来事に感謝致します。
4号車ドライブ&ナビ

寺田 昌弘
1/4のパリダカと猿岩石の旅
ラリーの80%と言われる準備の一年間、RVランドやパーツメーカーを数十回まわり、モビリティーパークにみんなを集めたり、質問に答えたりと、よくがんばったと思う。残リ20%のラリー自体は、約1/4でエンジン炎上のためリタイヤと非常に悔しい思いをした。
その後マリで警官に橋を閉鎖されたり、貨物列車にマシンを載せたり、ダカール市長に許可をとったりと猿岩石以上の体験をした。もうひとつのパリダカは、非常に自分の為になったが、今度は普通のパリダカを体験したい。
4号車ドライブ&ナビ

和田 真人
学生時代からの夢がこんなに早く実現し、チームの仲間や協力・応接してくれた方々に本当に感謝しています。
残念ながらリタイヤとなってしまいましたが、人間も車も極限の状態から、その後ダカールまで自力で戻る旅は現地の人々に助けてもらったり、家に泊めてもらったりと、アフリカの人の優しさや文化に触れる、ラリーとはひと味違った経験をする事ができました。
是非またチャレンジして、今度は完走したいと思います。
5号車ドライブ&ナビ

稲垣 博志
飛んで、跳ねて、転がって、僕たちのパリダカは他の人の倍、楽しめた気がする。4回転半、2回の転倒によって車はボロボロ、まるで芸術作品の様だ。
ずいぶんいろんな人に助けられた。
メカニックの人、ヘルパー、マネージャーその他出場こあたってサポートしてくれたスポンサー、両親、友人、全ての人に感謝したい。
最後に僕を完走まで導いてくれた最高のパートナー永田光成どのに心から「ありがとう」の言葉を贈りたい。
5号車ドライブ&ナビ

永田 光成
僕にとってこのラリーは初めての海外旅行でした。
僕は「26までには借金をしてでも世界を見るといい」と聞いた事がありました。そして今回世界を見る事が出来その言葉が少し理解できました。
世界は広くそしてとても大きかった。自分が一人ではなく、大勢の人の中にいるという事も解ったような気がしました。
又、近い将来世界を見て回りたいと思います。


メカニック・ヘルパー・プレス