2006年6月の近況報告

 拝啓 6月の声を聞くと共に30度を越す暑い日となりましたが、皆様には相変わらずお元気でお過ごしでいらっしゃいましょうか。
 5月は、ゴールデン・ウィーク明けから大変忙しい毎日が続きました。昼間は5月27日に開催しました地元、地域から教育を変えるを目標にした、小野田元陸軍少尉の講演会のチケットのお願いに歩き続け、夜は月の内20日間は外での会合で外食が続きました。その間大阪へ1回、東京へ2回行き、誠に忙しい日々でした。
 お陰様、1,000人以上動員したいとの目標を超え、1,200名近い人々に集まっていただけホッとしましたが、本当に疲れました。若い人は知らない。老年、特に70代の人々は千円の会費を払うのが嫌な方が多く、チケットを売るのに今までになく苦労しました。
 30年間のジャングルでの生活体験からにじみ出る、淡々とした語りは若い人に是非聞いていただきたいものです。我々の壮年、高年の者が次へ日本の伝統、文化、習慣をきちっと伝えなければと思います。日本の活性化の為には、日本の心の基を今一度見直すことにあると私は確信しています。
 講演会が終わり、28日には町内有志で温泉へ、更に続けて29・30日と東京へ出掛けました。全く疲れの取れないこの頃です。
 東京では河村たかし代議士はじめ、何人かの方といろいろ打ち合わせ等やってきました。これから数日かけて講演会の御礼、後始末、その後は2カ月かけて、一宮市内のいろいろな方の所へ、今後のことについての問いかけに回る予定です。
 ここのところいろいろな方とお会いする機会が多いのですが、60才はまだまだ若いと感じています。この10年の生き方をじっくりこの間考えていきたい、そして社会のお役に立ちたいと思っています。
 さて、今月も少し対中国、韓国のことを記したいと思います。先日河村代議士と会った時、河村代議士も南京虐待は本当にあったのか。今真剣に調べているとのことでした。
私の知人で南京に駐屯し、終戦を徐州で迎えた方がいます。この方の話も時々お聞きするのですが、共産軍と国府軍の戦斗の中、日本の統治によって南京の人口は増え、戦後も半年、平和維持の為、国民党政府に駐留するよう頼まれた。虐殺などやる暇なかったとの話です。(この方は創価学会の方です)河村代議士の父親も南京で終戦を迎えられたそうですが、戦友の方の話として、日本兵2300人をもてなして、夜全員殺し、日本人が埋められているとの事実もあるそうです。
いずれにしても信仰を認めない共産中国が、宗教施設を認めるはずがありません。中国における宗教施設は観光施設にすぎません。日中も日韓も対等の独立国です。靖国のA級戦犯分祀を中国、韓国の言うように認めることは今後の日中、日韓が泥沼に入って行くことは必定です。
今、中国も韓国も自分の政権を守る為に靖国問題にかたくなな態度をとっています。彼らは自分達の政権を守る為なら何でもすると思うのです。時移れば彼らが靖国に参拝することもありうるのです。
 経済同友会の北城会長は、多くの反対を強引に押し切り、「中国の扇動」に応えたことは恥ずかしいことです。(最もIBMという外国資本の会社の社長ならいたしかたないか)
関西経済同友会は逆に中国に対して国交回復時の原点に帰り、◎相互不干渉◎反日思想をあおる施設のみなおしや廃止を求めたそうですが、日本の反日マスコミは記事にしません。◎日本と中・韓ともきちっと歴史を学んでいないので、全く生にえの歴史対話にしかなっていないことは残念です。
中国に女を抱かされた橋本元総理の中国訪問時の姿は全く哀れなものでした。日本と中国、韓国との正常な関係は今の60代・70代の人々が消えない限り、ダメでしょう。江戸時代以上の深い眠りから日本が目覚めるはあと20〜30年先か?5年でも10年でも早い日本の目覚めの為微力ながら尽くしたいものです。                                                
                                                 森  治央 拝
                                                   (治男改め)
 平成18年6月5日